INDEX
メゾンフレグランスの世界へ
メゾンフレグランスと呼ばれる特別なフレグランスをご存知でしょうか。多くのファッションブランドの香水とは一線を画す特別な香り。それは厳選された原料、熟練した技術と芸術性を持つ調香師、メゾンのこだわりや歴史の作る芸術作品ともいうべきものです。
メゾンフレグランスを纏う。それはメゾンの美意識とこだわりを纏うということ。一般的な化粧品メーカーやファッションブランドの香水は多くのお店で手に入るメリットがあります。
一方でメゾンフレグランスは厳選された原料を使用していて量産できません。そのため流通量も限られ、他の人とは違う香りを楽しめるメリットがあります。メゾンには歴史があり、物語があります。
メゾンの歴史、物語を知ることは、その香りを纏う意味を知ることになるでしょう。
さて、メゾンフレグランスとはどのように生まれてきて、どのような物語があるのでしょうか。
サンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)
イタリア、フィレンツェ。フィレンツェの玄関口とされるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅の直ぐ近くにサンタ・マリア・ノヴェッラ教会があります。初期のゴシック様式で、白い大理石と緑色の蛇紋石でできた美しいファサード、聖堂内部は荘厳なステンドグラスとフレスコ画で彩られています。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会が現在の美しい姿になるまでには、ルネサンス時代の長い年月をかけて改築されてきました。このように、建築、文化の歴史の上で重要なサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一角に世界最古の薬局といわれるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局があります。13世紀初期にドミニコ会修道僧が、自分たちが育てた薬草を用いて飲み薬や塗り薬を調剤していたことを起源としています。
選び抜かれた原料、天然へのこだわり
サンタ・マリア・ノヴェッラの製品には、原料としてフィレンツェの丘にある、サンタ・マリア・ノヴェッラ専用植物園で栽培されたものを使用しています。13世紀から修道僧たちが自分たちで育てた薬草を使用して飲み薬や軟膏を調合していたように。
現在ではフィレンツェの丘の植物園で栽培されたものだけでは足りない原料、もしくはフィレンツェで作れないものは世界中から厳選された植物を使っています。
天然の植物からつくられるサンタ・マリア・ノヴェッラのフレグランスは香水ではなく、すべてオーデコロンです。フレグランスは、香水、オードパルファン、オードトワレ、オーデコロンの順に香料の濃度が小さくなっていきます。
たとえば、多くのフレグランスに使われているローズの香り。ローズの精油は1滴つくるために、どれくらいのバラの花が必要なのでしょうか。
なんと、まだ咲いていないつぼみの状態のバラの花びら50本分が必要なのです。天然香料の香りのみをつかったフレグランスの特徴を知るために、天然香料と合成香料、それぞれどのような輝きがあるのか、香料の世界に足を踏み入れてみましょう。
天然香料と合成香料
天然香料と合成香料。それぞれどんなものなのでしょう。多くの人が魅了される香り、バラについて考えてみましょう。

天然香料
甘く華やかな香りから癒しを感じるとともに、高貴で可憐な花の姿を思い起こさせるバラ。
その香りには数100種類もの成分(分子)が含まれると言われています。バラの甘く華やかな香りは、数100種類の分子が折り重なったハーモニーで作り出されているといえます。
一般的に、香りの成分は、大きく分けると2つに分けられます。水に溶ける成分と油に溶ける成分です。香りの成分のほとんどが油に溶ける成分ですので、香りの成分は油に溶ける成分が中心となります。
バラの花びらからは主に水蒸気蒸留法と有機溶媒抽出法で香り物質が取り出されます。
水蒸気蒸留法で分離された油に溶ける成分を含む香料はローズオットー(アロマ精油)、水に溶ける成分が含まれる香料はローズウォーターと呼ばれます。
また、有機溶媒抽出法では、水蒸気蒸留法では高温で分解されてしまう成分を抽出できます。有機溶媒抽出法で得られる香料はローズ・アブソリュートと呼ばれます。
ローズオットー、ローズウォーター、ローズ・アブソリュートこれらがバラの天然香料に含まれます。

合成香料
新しい香り成分を有機合成してつくられたものがあります。化学者によって実験室でつくりだされた香料と言えます。合成香料という名称からも、イメージしやすいのではないでしょうか。
天然の香り成分の構造を人工的に少し変えたものが全く違う香りであることもあります。天然の香り成分をヒントにして有機化学合成により、天然にはないけれども人に心地よい香りと感じられる新しい香料をつくることができます。また、非常に芳香が強いことも特徴です。
化学構造が分かれば、工業的に合成することが可能となり、原料を安価にすることができます。
また、天然香料と合成香料をブレンドして天然にはない新しい香りを生み出すことができ、調香師によって作り出される香りの作品に新しいバリエーション、表現の広がりをもたせることができます。
バラの香り成分は数100種類もあるとのことでしたが、化学者はこの数100種類ある分子の集団からそれぞれの分子をわけて(分離して)、一つの分子を取り出します。取り出された分子の化学構造を決定することで、香り物質を特定するのです。アロマ精油には多くの香り成分が含まれています。
バラの香りの成分としては、2-フェニルエタノール、ゲラニオール、ネロール、シトロネロールが知られています。(図)しかし、これらの成分だけでバラの香りを再現できるわけではありません。バラの香り成分は数100種類あるといわれているので、まだまだ未知の分子があるに違いないと考えられています。
天然単離香料(合成香料)
天然香料から1種類取り出されたされた香りの分子。これも合成香料とよばれます。同じ香り分子が他の植物にも含まれていることがあります。育てやすく、安価にできる原料から欲しい分子を取り出し、高価な原料からとれる香りに似たものをつくることができます。そのため、高価な原料から抽出された原料を使うより安価にでき、多くの人が楽しめるものになるメリットがあります。
1700年代初期まで、香水は王族や貴族にしか手に入らない高級品でした。イタリアからフランス、イギリス、ドイツへ広がりました。やがて19世紀の産業革命から、香水に限らずフレグランスが大量生産できるようになり、日用品にまで貧富の差を問わず民衆に浸透していきました。
一本のオーデコロンを作るのに必要な花の量を考えると、どれほどの花びらが必要なのでしょうか。天然由来の成分にこだわってつくられるサンタ・マリア・ノヴェッラのオーデコロンには自然からの恵み、天然由来の複雑さを大切にした香りを楽しめるように設計されているのではないでしょうか。
クリード(Creed)
次の地はイギリス、ロンドン。イギリス発祥の伝統あるメゾンフレグランスブランドの代表といえば、クリードと言えるでしょう。
クリードの始まりは、ロンドンのメイフェアに創業されたテイラー(服の仕立て屋)からでした。260年もの歴史がり、イギリス王室やフランス皇帝ともなじみの深いメゾンです。1760年にイギリス国王であるジョージIII世に香りつき革手袋を献上したところからクリードの歴史はおおきく動いてゆきます。

15世紀頃のルネサンスの時代では、イタリア、フィレンツェが文化の中心でした。
フィレンツェの文化はフランス王室からも憧れられていました。フィレンツェの富豪一族メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスは、フィレンツェからフランス王家に嫁ぎ、その際におかかえの調香師、ルネ・ル・フロランタンを一緒に宮廷へ連れて行きました。
当時、フランスでは皮をなめすための工程で悪臭が発生するので、その悪臭を緩和する目的で香料が使われていました。そこで調香師フロランタンが香り付きの手袋をつくり、それを当時の王アンリ2世(カトリーヌ・ド・メディシスの夫)に送りました。するとアンリ2世は大変お気に召し、香りつき革手袋は大流行となりました。イギリスでも富裕層が徐々に身の回りに香りをまといはじめ、高価な香りつき革手袋が流行していました。この頃から香りとファッションが融合していったといえるでしょう。
1854年にクリードはナポレオン3世とその妻ウジェニー皇后に求められ、ロンドンからパリに移転し、皇室御用達に任命されました。クリードは完璧な仕立てと独自の希少なフレグランスで評判だったのです。
厳選された原料を用いた天然香料、ワイン用語ではミレジム品質
クリード特徴といえば、最高の品質の原料にこだわっているところでしょう。クリードのフレグランスはワイン用語でミレジムと言われる品質を約束しています。ミレジムとは、ワイン用語で、通常複数の収穫年のワインをブレンドして造られることが主流ですが、ある年に収穫されたブドウを100 %使用して造られたワインのラベルにはヴィンテージと記載されます。通常優れた年、表現したい個性を持った年に造られるヴィンテージワインは希少価値が高く、価格が高いことが多いです。
ミレジム品質のフレグランスにふさわしい原料となる精油は、精油の原料となる植物が地形、気候など最適な環境で成長したものをつかうため、造られる国、地域、都市まで管理されています。しかし、原料となる植物の性質は、日照時間や降雨量などによって変化します。常に同じ製法でつくられているのに貴重なワインのように年によって微妙に異なるところがクリードの香りの魅惑的で洗練されたところなのです。
メゾン フランシス クルジャン(Maison Francis Kurkdjian)
次の地はフランス、パリ。これまで天然香料、合成香料の魅力についてはお伝えしてきましたが、それを使ってどのような魅惑的なフレグランスがつくられるかは、まさに調香師の感性にかかっています。
香水の世界には、3,000種類以上の異なる香りが使われています。香りに精通する調香師になるには、気の遠くなるような訓練が必要となります。日常の生活で嗅いでみた香りひとつひとつについて、自分の感じたこと、連想したことを日記に書きとめ、香りを記憶していきます。
このような地道な作業を続けていき、自分の引き出しに多くの香りを備えていきます。それと同時に香りの調合技術を身につけ、自分流の香りのパレットをつくっていきます。
香水はトップノート、ミドルノート、ベースノートで構成されています。原料となる香料によって、嗅覚に到達する気体になる速度(揮発速度)が異なります。揮発速度によって香ってくる順番が決まるので、調香師は揮発速度を考慮して香水を設計します。さまざまな技術、感性を駆使して独創的な香水という作品をつくる調香師はまさに芸術家というべきでしょう。
世界的に有名で、天才とよばれる調香師がフランシス・クルジャンです。それまでに、クルジャンは多くのラグジュアリーブランドで香水をつくってきました。ジャン=ポール・ゴルティエ、クリスチャン・ディオール、バーバリー、ケンゾー、ナルシソ・ロドリゲスなど、数えればきりがないほどです。
そのクルジャンのメゾンが「メゾン・フランシス・クルジャン」です。2009年に設立され、これまでにたずねてきたサンタ・マリア・ノヴェッラやクリードのような歴史と伝統あるメゾンと比較すると、新しいメゾンといえるでしょう。それにも関わらず、次々と名作が生み出されています。
クルジャンのこだわりは品質です。厳選した天然香料を好んで使われます。そしていくつもの香り分子の含まれた天然香料と合成香料を用いてより輝きのある香りに仕立て上げます。クルジャンは、「メゾン・フランシス・クルジャンはラグジュアリーブランドではなく、クオリティブランドです。クオリティが十分であれば、高価になることは問題ではないのです。」と言っています。
クルジャンの新しい感性による先進的な香りを生み出すメゾンとして注目されています。
さて、メゾンフレグランスを生み出しているメゾンをめぐる旅はいかがだったでしょう。まだまだ魅力的なメゾンがありますが、自分の個性を光らせる香り、これからの理想の自分を表現している香りなど、纏うことが楽しみになるような香りとの出会いがこの中にもあるかもしれません。
参考文献
香水の歴史 ロジャ・ダブ
香料植物の図鑑 フレディ・ゴズラン
「香り」の科学 平山令明